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ネイティブスピーカーも知らない!英語のヒ・ミ・ツ

ネイティブスピーカーも知らない!英語のヒ・ミ・ツ

音読の効果は絶大

 ここのところ、私は「しまった…」と思っている。
 最近は、本屋の英会話コーナーに行けば「音読で英語をマスターする」という内容の本が山積みだ。
英語に限らず、日本語でも「声に出して読みたい日本語」などという本がベストセラーになり、その著者の齋藤孝先生はその後もひっぱりだこで山ほど本を出し、どれもずいぶん売れているようである。
「しまった…」というのは、「音読がイイ!」というのは、私自身も大昔から主張していたことだったから。今のように音読がクローズアップされない頃から、なにかといえば生徒さんたちにも「とにかく声に出して読みなさい」と言っていたのだぞ。ううむ、それをもっと本気で、あのころにたとえばこういう文章を書き始めていれば、あるいは、ベストセラーになっていまごろは印税生活で左うちわ…。
 …なんてことはまあ、ないと思うが、音読が話題になるずっと前から私はその効用をずっと信じていたので、「ほーらね!」という気分でもある。

音読でなくとも、音声練習を伴わない英会話学習なんてものはありえない。というより、音声学習がメインで当然なのである。今は多少は違ってきているようだが、私が中学や高校の頃は、学校の英語といえば、そりゃ読まされたりはするものの、音声学習がメインとはとても言えない状態だった。もっとも、会話ができるようにという意図ではそもそも計画されていなかったのだろう。大学などで英語の文献が読めるように、という目的だったと思えばそれも仕方がない部分はある。が、そんなものは大多数の人には役にたちはしないのだ。
音声練習のない英語学習なんてものは、車の免許を取るのに、交通法規だけを教えて、いきなり路上に出されるようなものである。

ここで英語と関係ないおもいっきりの余談(つい思い出してしまったもんで…)。
実は私は車の免許を持っていない。 だが1度アメリカに長期の一人旅に行ったとき、車社会のアメリカで免許がないのはつまらないと思い、またアメリカでは免許を取るのが楽だと聞いて、挑戦してみることにした。 これがまた、まさに「交通法規だけ教えて、いきなり路上」だったのである!
10ドルだすと、まずペーパーテストを受ける。カリフォルニアなどでは日本語でもテストが受けられるらしい。 このテストは非常に簡単で、よほど非常識な人でない限りは受かる。 で、これに受かるといきなり仮免である。ということは、免許を持った人が同乗していれば、公道を運転できるのである。 基本的にアメリカには日本のような形の、練習用のコースを備えている自動車教習所がない。 電話帳で調べると、ドライビングスクールはあるが、それはインストラクターが出張してくる形で、インストラクター同乗で公道で運転の練習をするのである!
 私はYWCAの安宿に泊まって、近所のドライビングスクールを探して電話した。車はあるか?と聞かれたので、ないと答えると、じゃあこちらの車を持っていく、とのことだった。 約束時間にインストラクターが迎えに来て、駐車場に止めてある教習車に案内してくれる。で、運転席に乗せられると、いきなり
「じゃ、エンジンかけて、ここから出して」
と来た。私はびっくり仰天。私は車の運転席に座ること自体生まれて初めてで、エンジンのかけ方も知らないのだった。 途方に暮れていると、とりあえずエンジンのかけ方は教えてくれて、駐車場から出すまではインストラクターがやってくれた。 あまり事情も知らずに「ドライビングスクールに電話すればなんとかなるだろう」と思っていた私がいけなかったのだが、ようするにアメリカでは、友人や家族がまだ免許を持っていない若い人に運転の仕方を教えてくれて、あまり車通りの激しくない住宅地や、校庭などで勝手に練習するのが普通なのである。 ドライビングスクールはあくまでその補助的な役割なのだ。
その後も、2日目(1日目には1時間程度しか乗っていない)にはもう
「じゃ、高速に乗るから」
「ひええええ。まじっすか」
 高速に合流する測道に乗ったものの、怖くてアクセルを踏み込めずにトロトロ走っていたら
「流れに乗らなきゃあぶない!」
 と、横からインストラクターが手を伸ばしてアクセルをググッと押し込んでスピー ドを上げてしまった。
「ひょええええええええ」

 そんなこんなで、5日間ぐらい練習し、実技テストを受ける。 が、見事に落ちてしまった。ライセンス事務所の敷地から出るのに、右見て、左見て、右見て、そして最後に左を見るのを怠ったら左から車が来ていた。 敷地から出ることもできないまま落第。 ちなみに、はじめに払った10ドルで実技テストが3回まで受けられる。 仕方なく、ロスに住んでいた父親の古い友人を頼って、週末に車を借り、そこのお嬢さんにつきあってもらって練習。
 週明けにもういちど実技テストに挑戦したがまた落ちる。ブレーキとアクセルを踏み間違えて歩道に乗り上げてしまった 。その翌日にどうにかパスしたが、我ながらとてもじゃないが自分の腕を信用できない。 できるわけがない。 というわけで 、免許は一応とったものの、2ヶ月の旅行中一度も使わなかった…。
 ちなみに、州によっても違うようだが、免許を取ってから数ヶ月から半年ぐらい滞在すれば国際免許が取れて、日本でも運転できることになるらしい。だから留学生な どでアメリカで免許を取る人は多いようだが、道の広いアメリカでは通用しても日本ではどうだかなあ…。

…って…うっわあ、脱線しすぎ…。


ま、元に戻せば、音声(つまり技術)訓練のない英会話なんてのは、ろくに運転実技の練習もないまま高速道路に乗せられるようなものなのだってことである。

もちろん実技訓練は、実際にネイティブと話すのが一番ではあるが、そういう機会が日常的にある人は別として、そうでない大多数の人にとっては、そうでない練習法が必要となる。
今度はスポーツに例えてみれば、試合に出て上手くやるには練習試合が必要だが、練習試合のできないときは基礎トレーニングにいそしむ、ってことだ。
さて、このシリーズの冒頭に書いたように、私は「ガイジンだ~、だ、だれかぁぁ」という状態から、幸運にも3年もたたないうちに英会話を教える方に回ったのだが、何度も言うように、無理をして頑張ったわけでは全然ない。いや、もちろんそれなりの努力はしたし、その3年の間は英語をマスターすることを生活の中心に置いてはいたのだが。
しかし、それ以前に、ちょっとしたアドバンテージのようなものは持っていた。
学校での英語の成績は悪くなかったのである。
そして、それは多くを「音読」に依っていた、と今更ながらに思う。
なぜか私は、テキストを「読み上げる」のが妙に好きだった。 中学や高校で、テストのための自宅勉強といえば、ひたすら何度も教科書を繰り返し「読み上げる」のが中心だった。 暗記しようと頑張っていたというわけでもない。 だが、なんだか「つっかえずに読み上げる」ことに固執していたのである。テープレコーダを持ち出してきて、読み上げる自分の声を録音する。 今から思い出すと、だからといって録音したものを聞き返した覚えはあまりない。 ただ、とにかく録音して、途中で間違えると悔しくて、最初からやりなおし!というわけで、ものすごくしつこく何度もやった覚えがある。 ちょっと偏執狂っぽい。

 今でこそ音声教材は簡単に手にはいるが、当時、なかったわけではないにしてもそう安くはなく、ましてや、今考えればおかしなことだが、教科書準拠の音声教材は普通の生徒には手に入りにくいものだった。 だから、私の「読み上げ」も厳密に言えば、今でいう「音読」法の、ネイティブの発音やイントネーションをできるだけ真似る、という方法ではできなかった。 だが一度は授業でやって意味を理解している英文である。 おそらく、文の区切り方などは割に正しく読めていたと思う。 そしてまさに、「正しく区切って読む」ことこそが、学習に絶大なる効果を持っていたのである。 暗記しようと頑張らなくても、熟語などは自然に頭に入ってくるようになったし、文の構造もスムーズに把 握できるようになったと思う。
 それが英会話に活かされるには、もうワンステップ必要だったわけではあるが、この(自己流とはいえ)音読体験が、私の基礎体力になっていたことは間違いない。 またしてもスポーツに例えてみれば、素振り(テニスでも野球でも)をしつこく練習していたようなものだ。 試合体験がないのでまだ上手く統合的な動きが出来ないが、この素振り練習が、その後「練習試合」を始めたときにものすごく活きたのだと感じる。

みなさんにも、ぜひ、基礎体力作り、そして素振りの練習にあたるトレーニングを試みて欲しい、と真剣に思っているのだ。
次回は、音読について具体的な注意事項を書くが、今日は余談が半分以上でした…(?)

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